夫だけが管財人と面談。私は“見えない不安”に包まれていた日

📝 前回の記事はこちら →自己破産後に気づいたこと – 今、伝えたいこと。

主人が破産の当事者として、管財人の事務所へ定期的に通っていました。

私は直接お会いすることはなかったのですが、付き添いで車の中で待っている間、「どんな話をしているんだろう?」「怖い人だったらどうしよう…」と、不安や妄想が頭をよぎりました。

私たちの生活を立て直すには、管財人の“監視”を受けることも避けては通れない現実なのだと痛感しました。

この記事では、「自己破産 管財事件 体験談」として、実際に私たち家族が体験した管財手続きの流れや、心の葛藤について詳しくお話ししています。

1. 「自己破産 管財事件」を聞いたときの正直な気持ち

「管財事件」――それはドラマやニュースの中で聞いたことはあっても、まさか自分たちがその当事者になるなんて思いもしませんでした。

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たすくま

「私たちもこんな立場になるなんて…」
どこか遠い世界の話だと思っていたのに、現実がぐっと近づいてきた気がしました。

最初にその言葉を聞いたとき、「何か面倒なことが起きるのかな?」と漠然とした不安が胸に広がりました。

たすくま
たすくま

「ちゃんと向き合えるかな…?怖いな…」
でも、もう逃げずに乗り越えていくしかない―そう覚悟を決めました。

それでも、主人に寄り添いながら、どんなことがあっても誠意を持って受け止めていこう。
そう心に決めて、一歩一歩進んでいきました。

2. 手続きに進んでいく中で感じたこと

破産の申し立て後、裁判所から破産管財人が選任されました。

まさか自分が「自己破産 管財人 体験談」の当事者になるなんて、正直まだ信じられない気持ちでした。実際にお会いする日、私は付き添うことができませんでしたが、
主人から「今日がその日だ」と聞いたとき、胸の奥にずしんとした“重み”を感じました。

<span class="fz-12px">たすくま</span>
たすくま

「ほんとうに始まるんだ…」
いよいよ現実が動き出したことに、

心がそわそわして落ち着きませんでした。

主人の話によると、管財人の方は六十代くらいのスーツ姿の男性で、弁護士も兼任されている方でした。

事務所はこぢんまりとした印象で、キャビネットには書類がぎっしり入っているものの、デスク周りは整理されていて、整然とした雰囲気だったそうです。
対応も、無駄のない粛々としたやり取りだったと聞きました。

3. 手続き中の生活と感情

破産管財人は、債務者の財産を調査・管理し、必要に応じて換価処分します。
私たちにも、破産前にローンで購入したネックレスと指輪がありました。

管財人の方の判断では、それらの品は「5万円にもならない」とのことで、いわゆる“価値なし”とされました。

購入の経緯は、破産前のある日、地元の大型ショッピングモールでジュエリーショップをたまたま覗いたのがきっかけでした。
私自身は、本当に見るだけのつもりで、購入する気なんてまったくなかったんです。

でも、その様子を見ていた主人には、私が“欲しそうに”見えたようで…。
店員さんと一緒になって「これにしたら?」と、ネックレスと指輪のセットを差し出してきました。

私は「気持ちはありがたいけど、ローンを組んでまで欲しいとは思ってないよ」と伝えました。
けれど主人はもう、購入する気持ちでいっぱいで…。
私の言葉を聞くことなく、そのまま契約を進めてしまいました。

今思えば、「欲しい」と口に出していなくても、そう“見えた”だけで買ってしまう。

たすくま
たすくま

「本当は欲しいなんて言ってないのに…」
あのとき、どうしてちゃんと気持ちを伝えられなかったんだろう。

お金に対する感覚が、あのときは私たち二人とも、どこかズレていたんだと思います。

当時のことを思い返すと、「クレジットカード 破産 体験談」などで似たような話が出てくるのも、

すごくよくわかる気がします。

毎月決まった日に、主人は管財人の方との面談に出かけていきました。
私はその間、車の中で待つだけの日もありましたが、
待つしかできない自分に、どうしようもない不安と焦りを感じていました。

小さかった子どもの笑顔を見るたびに、「ああ、こんなはずじゃなかったのに…」と、胸が締めつけられました。

たすくま
たすくま

「私、母親として大丈夫かな…」
子どもには笑ってほしいのに、心が追いつかなかった。

本当はもっと主人と話し合いたかった。
ちゃんと相談してほしかったし、先走らないでほしかった。
それができなかったことが悔しくて、怒ってでも止めていれば…と、後悔ばかりが溢れてきて、涙が止まりませんでした。

また、主人のご両親や私の両親からも、
「自己破産なんてやめて」「家計管理ができていないお前のせいだ」
と責められることもありました。

当時は“きちんと説明しないと”と考えて、私たちの状況を話してしまいましたが、
今思えば、破産手続きが終わるまでは、双方に話さなくてもよかったのかもしれません。
心が弱っていたあの時、家族の言葉は、思っていた以上に重くのしかかっていました。

手続きが進む中で、破産管財人は私たちの財産を調査・管理し、必要に応じて換価処分を行います。
そのうえで、債権者への配当が行われ、最終的に裁判所が「免責」を認めることで、借金の支払い義務が免除される――これが破産手続きの流れです。ただ、現実はそんなに簡単なものではありませんでした。

「債権者一覧」「財産目録」「免責審尋」など、聞き慣れない言葉が飛び交い、
書類の準備に追われ、記載ミスがないかと何度も確認。それでも不備が出ては差し戻され、訂正しては提出の繰り返し。

毎月の管財費用の支払いもあり、「払わなければ免責が下りない」というプレッシャーの中で、家計のやりくりは常に綱渡りのような状態でした。

さらに、せっかくのボーナスも、その半分以上が管財費用として消えていきました。
「このお金があれば、他にできたことがたくさんあったのに…」

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たすくま

「本当なら、家族で外食したりできたのに…」
でも今は、ただ無事に終わることだけを願ってた。

そう思っても、仕方ないと自分に言い聞かせるしかなくて。
どこか、心にぽっかりと寂しさが残りました。

4. 振り返って思うこと

破産手続きというのは、書類や手続きの大変さだけでなく、
表に出ない“心の疲労”もすごく大きなものがあります。

実際に「少額管財事件 体験談」などの言葉で検索すると、
手続きの大変さよりも、心の疲労の方がきつかったと書いている方も多くて…。
私もまさにその一人でした。

私自身、「自分だけ置いていかれたような気持ち」に何度もなりました。

<span class="fz-12px">たすくま</span>
たすくま

「なんで私だけ、こんな思いをするんだろう…」
あの頃は、そんなふうに感じていました。

もしかしたら、今この記事を読んでいるあなたも、同じような思いを抱えているかもしれません。

そんなあなたに伝えたいのは、
**「それでも大丈夫だったよ。私たちはちゃんと立ち直れたよ」**ということです。

たすくま
たすくま

「こんな私でも、前を向けたんだから」
きっと、あなたにも大丈夫な日が来る。

たしかに、世間には「自己破産=いけないこと」という風潮がありますし、債権者の方々にもご迷惑をかけてしまったのは事実です。

でも、自己破産は“国が認めた再スタートのための制度”であり、本当にどうしようもなくなったとき、命や家庭を守るための最後の選択肢なんです。

実際、私も当時は「主人の会社に知られてしまったらどうしよう」「辞めなきゃいけないのかな」と、不安でいっぱいでした。

たすくま
たすくま

「知られたら、人生終わりだって思ってた…」
毎日がこわくて、不安で、眠れなかった日もありました。

でも、こちらから話さなければ、勤務先に知られることはありませんでした。
家族みんなで、前を向く時間を少しずつ取り戻せたのも、あのとき“最悪の状態になる前に決断したから”だと、今は思えます。

たすくま
たすくま

「あのとき勇気を出して、ほんとうによかった」
あの選択が、家族を守る一歩になりました。

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💡次回の記事はこちら👉(公開予定)
【『お金に無頓着だった私』のその後 ― もう同じ失敗をしないために】

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